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2015.10.19 STAFF BLOG

中国の満員列車に乗る 1988夏

20090416220340

内モンゴルの草原を800キロ自転車で移動した後、赤峰(ツーファン)で自転車を公安に没収されたぼくは、赤峰から北京まで列車で移動した。

切符を買う長い列にならんで、ようやく自分の番が回ってきたかと思うと、言葉が通じないところで「メイヨ」という窓口の女性のいらだたしげな声で、切符を売ってもらえず、次の人の番になってしまう。中国では、切符を買うときには、これくらいのひどい仕打ちは覚悟しておかねばならないことをそれまでの20日間で学んでいたぼくは、すぐさままた長い列の一番後ろにならんだ。

「メイヨ」とは、没有で、「ないよ」という意味だ。日本人旅行者の間では、最も有名な中国語といっていい。いろんな窓口で、「メイヨ」の一言で、売ってもらえなかったり、聞いてもらえなかったり、会話が強制的にシャットアウトされる。日本人にとっては、理不尽以外のなにものでもないが、そのようなものに出会うこともぼくがそこにいる理由のひとつだった。

2回目のトライで、切符をゲット。記憶では、そこでもう半日は費やされた気がする。中国の旅は、それくらいの時間感覚でなければ、とても続けることができない。それから次の朝の列車を待つため、駅の硬いベンチで寝る。たくさんの中国人家族がやはり駅で夜を明かす。外国人はぼく一人である。

どこへ行っても、駅は人で溢れかえっていた。見上げると、天井ははるか上方にある。毛沢東の理念である、美しい農村の生活が描かれた壁画が、これもはるか上の方から見下ろしている。

ベンチからあぶれた者は、コンクリートの地べたで寝ている。そんな貧しい風景は、壁画に描かれているような風景とはなんの関係も見い出せない。ぼくが中国人だったら、この壁画を憎んだだろう。(自転車を没収された後で、ぼく自身、殺伐とした気持ちになっていたせいもあったろうが・・・)

しかし、中国人たちは、そんなことは意に介さず、ただそれぞれの人生を生きているふうだった。

8w

翌朝、列車が来るとなだれ込むように大勢が乗り込む。重い荷物を持ったぼくは、やっとの思いで列車の中へ入れた。もし、自転車がまだ手元にあったら、乗り込むことは不可能だったかもしれない。

車内は、向かい合わせの席がならぶ。満員の車内で、座っているのは若い男たちがほとんどで、お年寄りはみんな立っている。強い者が席に座る。文革の間、儒教が否定された。その影響だろうか。お年寄りを大切にする文化が見られない。

やっと乗り込んだぼくは、自分の荷物の上に座って、そんな様子を眺めていた。

席に座った若者たちは、食い終わった弁当のゴミや飲み干した空き瓶を次々と窓から放り投げる。列車に乗るときのイベントのひとつなのだろう。みな、楽しそうに放り投げる。

ぼくたちが生まれつきに備えていると思っている基本的な道徳観は、後天的に教育で得たものだと認めざるを得ない。

今でも忘れないのは、目の前に立つ80歳くらいのおばあさんが、北京までの15時間、ずっと立ったままだったことである。その間、おばあさんは少しも表情を変えなかった。淡々とした様子であった。これが日常だということだろう。

ひどい話であると同時に、これは驚きに値する出来事だった。中国のお年寄りはこんなにも強いのである。

時代の波に翻弄されてきた世代。嘆いてもどうにもならないことをたくさん経験して来られたのだと思う。顔に刻まれた深い皺の奥に、80歳になってもまだ、いかなることも受けて立つことができる人間の構えを感じられた。

中国は底知れない国である。

→ らーめん天空のworks

TANAKA

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