店舗にまつわる誤解
店舗の空間をつくる仕事を始めて19年目になるが、人によって「店舗」というものに対して描く全体像には大きなズレがあることをひしひしと感じながらやってきた。
店舗の価値には、大きく分けて次の三つの要素があると思う。
1.機能的要素・・・機能に関わるもの。これがなければ、営業が成り立たない不可欠要素。
2.一般的要素・・・誰にでも通じるもの。例えば、流行っているお店に共通する表層的要素。短期的に効力を発揮する。
3.創造的要素・・・感じようとすることで発見されるもの。世界に一つのお店にする深層的要素。長期的に効力を発揮する。
これら3つの要素が絡み合うことで店舗が成立しているといっていいだろう。
店舗にまつわる一つ目の大きな誤解は、店舗を単なる「ビジネスの箱」として見ることだ。
そのような人に共通するのは、1.と2.のみを求めることだ。
「機能はもちろんのことですが、オシャレにしてください」
そのような人はぼくたちにこのように要求を伝えてくるが、この場合の「オシャレ」とは2.の表層的な装飾を指すから、取り換え可能なレベルに過ぎない。
店舗は生きものだ、ということを知らない。生きものとは、取り換えがきかないものなのだ。
店舗に命を吹き込むのは、3.の創造的要素である。これを欠いた店舗が、継続的にカスタマーに支持されることはない。
3.を担うのは、店舗の「商材・サービス」であり、「スタッフ」であり、「カスタマー」であり、「空間」である。
「空間」に3.の要素がなくとも、1.機能的要素のみの空間で、「商材・サービス」「スタッフ」「カスタマー」の創造的要素によって長年続いている店舗ももちろんあるし、ぼくたちは、そのようなお店も大好きだ。
けれど、ぼくたちは、3.の創造的要素を店舗空間に実現し、生きている店舗をつくるために、自らが創造的であると自負する人間たちが集まった、自称「空間アーティスト集団」だ。
そんなぼくたちの視点から見たとき、店舗にまつわる二つ目の、そして、最大の誤解が浮き彫りになる。それは、ぼくも最近気づいたことなのだけれど。
アーティストが作品を展示する目的は、それを見る人々に「気づき」を与えることではないか、と思う。
だが、美術館やギャラリーで「これを見てください」と示された作品によって、人々がその本質を汲み取ることはむしろ難しい。
「気づき」とは、発見されるものであるからだ。
それは、隠れたところに置かれるべきもので、まずは違和感として受け止められ、いつの間にか凝視しているような場所で初めて成立する関係ではないだろうか。
店舗とは、「ビジネスの箱」という要素を持っているからこそ、そこに在るアートの本質にベールをかけてくれるのではないか。そのことが逆に、訪れる人々の中に、美術館やギャラリーでは到達できないアートの本質を汲み取る可能性をつくりだすのではないか。
現在、店舗を文化の発信地と位置づける試みは多いが、大事なことは、あからさまに文化を提示することではなく、文化を忍び込ませることだ。
そのことが文化の本質に迫る発見者を生み出す可能性をつくる。
紛れもない「ビジネスの箱」である店舗だからこそ、その店舗の商材やサービスに留まらない、様々な「こと」の本質を伝承していく場所になりうる。
店舗がそれほどの大きな可能性に満ちており、また時代を担っていく役割を持っていることに、きっとたくさんの人は気づいていない。
ぼくは、奇しくも、その仕事に携わっていることに幸せを感じざるを得ない。